
経歴
北九州生まれ。3歳よりピアノを始め、京都市立堀川高校音楽科卒業後渡米。米国インディアナ大学を経て、ニューヨーク州ロチェスター大学イーストマン音楽学部で学士、修士号修得する。在学中から成績優秀者として表彰され、大学4年生時に、大学・院・博士号を対象にした全ての楽器のためのコンクールで、ラフマニノフ作曲ピアノコンチェルト第3番を弾いて優勝。卒業時には、優秀な演奏家に贈られるパフォーマーズ・サーティフィケート賞受賞。アウワ―バック国際ピアノコンクール、イーストマン・コンチェルトコンクール、キングスビル国際コンクール等に優勝・入賞する。
NYのカーネギー・ワイル・ホールをはじめ、フランス・ムーラン・ダンテ音楽祭、カナダ・バンフ音楽祭、別府アルゲリッチ音楽祭等、世界各地で演奏する。日本では九州交響楽団、室内楽ではNHK主席奏者、弦楽四重奏団ARCOや、東京芸大名誉教授の岡山潔氏らと共演。NHKのFM名曲リサイタル出演。また別府アルゲリッチ音楽祭では、アルゲリッチのマスタークラスに200人を超える応募者の中から選ばれる。ナタリア・アントノヴァ、練木繁男氏、故ミッシェル・ブロック、故江戸弘子氏に師事。故ジョージ・シェボック、ナタリア・トゥルリからもアドバイスを受ける。
2002年にフラメンコのショーの芸術監督なる人物と出会った機に、スペインにリサイタルをするのに招かれスペインの土を初めて踏む。
ファリャやアルベニスをはじめとするスペインのピアノ作品の多くは、スペイン独自の芸術フラメンコからインスピレーションを受けており、そのフラメンコ芸術が生まれた土地であるスペイン南部のアンダルシア地方で、本場フラメンコの奥深い世界を目の当たりにし、かねて学生時代より興味を持っていたが、情報があまりなく謎に思っていたスペインの作品と出会う。
2004年よりスペイン在住。フラメンコとクラシック音楽の出会いを描いた作品“セレナータ・アンダルーサ”を制作し、2007年5月フラメンコ界の最高峰の舞台であるセビリアのロぺ・デ・ベガ劇場にて初演する。ここで外国人アーティストが主演するのは初めての事であった。アルバ公爵夫人もご臨席され、“壮観なタッチ”(ABC新聞)“彼女はフラメンコの感情を楽譜にしみ込ませることを知っている”(Web雑誌デフラメンコ)“全てがエレガントで洗練されている”(コレオ・アンダルシア新聞)と批評家から絶賛される。
以来へレス・フラメンコ・フェスティバル、マドリッド・スーマ・フラメンコ、フラメンコ・ビエネ・デ・スール等のフェスティバルに出演、ダンサーのアントニオ・カナレス、アレハンドロ・グラナドス、ホアキン・グリロ、ラファエル・カンパージョ等と共演。マドリッドのカナル劇場、へレスのビジャマルタ劇場等のフラメンコ界の最高峰の劇場に出演する。主演アーティストとしてこれらの最高峰の劇場に登場した初めての外国人アーティストとなる。マドリッド最大のフラメンコフェスティバルであるスーマ・フラメンカが始まる際には、スペイン全国紙エル・ムンドで“モレンテ、松村、ファルキートがマドリッドに集う”とフラメンコ界の2大スターに挟まれて松村自身の写真を唯一使って紹介される。またセウタ公演の後では、公演翌日の新聞第一面にカラー写真付きで掲載されたりとメディアでも大きく取り上げられる。
2011年秋にはマドリッドの国立音楽堂にてファリャ、グラナドス、トゥリナのスペイン人作曲家の作品だけのプログラムでリサイタルを行い、大成功をおさめる。ここに日本人が出場したのは初めてであり、また、スペイン人以外の外国人がオール・スペイン・プログラムでリサイタルを行うのは初めての事であった。“複雑なパッセージの透明度や色彩は彼女の強みであり、彼女は完璧なリズム感を持っている”(音楽雑誌ムンド・クラシコ)と絶賛される。
2012年5月にはALMレーブルからエンリケ・グラナドス作曲、組曲ゴイェスカス-ゴヤが霊感を与えた音楽―をリリース。レコード芸術では準特選に、また、毎日新聞と日経新聞の今月の一枚にも選ばれ、“その意外に大きな世界を骨太にとらえて秀逸だ”(毎日新聞)、“ここには本場に根ついた音楽の魅力にあふれている”(音楽現代)、“自信にあふれたタッチで、決して情感過多におぼれず、スペインの情熱と幻想的な雰囲気をあますところなく伝える”(日経新聞)と各紙で今月の推薦の1枚として取り上げられる。スペイン大使館にて国立西洋美術館主宰、スペインのプラド美術館協賛のゴヤ展に参加。札幌から級までのツアーも行う。
また、クラシック専門雑誌音楽現代ではスペイン音楽についての連載”スペインという名の迷宮より”を約3年間寄稿した。スペイン音楽のスペシャリストとしてラジオ・TV出演等も行い精力的に活躍している。
Copyright 2019
Powered by
